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【ひらがなで書く字】
 「…こと」「…とき」「…ところ」「…もの」「…とも」「…ため」「…まで」「…とおり」「…わけ」「…ほか」「…ゆえ」「…できる」「…していく」「…してください」「…にすぎない」「…になる」「…ようだ」「…ぐらい」「…だけ」「…ほど」などは、ひらがなで書いた方がいい字となっています。(昭和56年10月「事務次官等会議申合せ」の「公用文における漢字使用などについて」による)

 ただし、「事が事だから」というような場合は漢字です。また新聞などではスペースを省略する関係で「…時」などは漢字を使っているようです。

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題名 自己アピール書の添削お願いします!!
名前 みおん
時刻 2004-10-21 06:23:48
部活動と文化祭・体育祭での自分のアピールを書かなくてはなりません。できるだけ細かく、厳しく、そして早めに添削していただければ嬉しいです。お願いします。


私は高校3年間バドミントン部に所属していました。バドミントンは少しも習った事がなく一からのスタートとなりました。そこで私はどうせやるなら3年間でより多くのことを最大限に学びたいと思い「経験者に負けないプレーヤーになる・最後までやり遂げる」ことを目標に掲げました。1日3時間の部活動の中で初心者の私は主な練習内容が1時間走と素振り、初心者がコートを使用させてもらえる時間は1日たったの10分間でした。一時間走や素振りが嫌で何人もの初心者が辞めていきました。しかし私は部活動に行きたくて行きたくて仕方ありませんでした。それは仲間に恵まれたからです。初心者の私には全員が交代しながら常に二・三人付いてくれて、バトミントンに対して何の知識も技術もなく、ラケットの握り方すらわからない私に嫌な顔一つせず、辛抱強く教えてくれました。真剣に向き合ってくれる人達の優しさを無駄にしない為にも早く上達し、みんなと同じメニューで練習できるようになりたかったです。放課後の部活動だけでは経験者との距離縮まらないと思い、先生に頼んで朝練を始めました。初めは一人きりでしたが、しだいにみんなが教えに来てくれるようになりました。学校まで一時間かけて通っている子が、私だけのために朝4時に起きて教えにきてくれることもありました。私が始めだした朝練は今も後輩達に受け継がれています。毎日練習を積み重ねていくうちに少しずつ上達し、一年後には経験者と試合をしても勝てるようになってきました。そして努力が形となって現れたのが校内ランキング戦でした。部員全員で総当たりし、一週間以上かかってやっと順位がでるものでした。そのランキング戦で初心者の私が一位となったのです。そして県大会の団体メンバーにも選ばれたのです。40人以上いる部員の中で一位となり、たった8人しか入ることの出来ない団体メンバーに選ばれたことは、大きな自信となりました。そしてそれは多くの人たちの支えがあったから成せたことです。三年間を通してなにより感じたのは「中央高校バドミントン部でよかった」と言うことです。一人の為に全員が声を枯らして応援するのです。試合を応援しながら、頑張る仲間の姿を見て大号泣してるのは中央高校くらいです。そんなすばらしい仲間と過ごした貴重な三年間は絶対に忘れません。
私が学校行事で一番頑張ったのは、三年生の白百合祭です。特に文化祭は一・二年生の時、部活動の試合と重なってしまい参加することができなかったので、最後は自ら実行委員に立候補し、私が中心となって文化祭を盛り上げようと思いました。文化祭は九月中旬に行われるので、二学期になってからでは遅いと思い、夏休み前から準備を始めました。まずアンケート用紙を作り意見を求めたところ、楽器ではなくドラム缶やバケツで音をだす「ストンプ」と、体育館にベニヤを敷いて「タップダンス」をステージで発表することになりました。文化祭が終わるとすぐに体育祭があります、私は体育祭の応援旗・ダンス・行進パフォーマンスも、文化祭と同時進行で考えることになりました。夏休み中集まる日にちと、個人の役割分担をカレンダーにして全員に配りました。しかし夏休みなり、予定にしていた日に来てくれたのはたったの四人。何のためにカレンダーまで渡したのだろうと悲しくなりました。仕方がないので来てくれたメンバーで出来ることから進めていきました。やると決めたからには私が責任を持ち、出来る限りのことをしようと思い、連絡先のわかる人には私から直接電話をし、集まって欲しいとお願いをしました。するとクラスの半数いじょうが準備を手伝ってくれるようになりました。文化委員はステージだけでなく、裏方の照明や全体の時間配分もすべて把握しなければなりません。ステージ発表をよりよいものにするために、照明の細かい色使いにまでこだわりました。裏方の仕事が忙しく、タップダンスや体育祭ダンスの練習にまで手が回らなくて息詰まっていたとき助けてくれたのは、たくさんのクラスメートでした。私が委員の仕事に専念出来るように、ダンスは出来る限り考えてくれたり、衣装で着るつなぎを貸してくれるガソリンスタンドを一緒に探してくれました。そしてガソリンスタンドの方々は連絡もせず押し掛けたのにも関わらず、つなぎを貸して下さったり、木工屋の社長さんは、一枚何千円もするベニヤ板を二十枚近く無料で提供して下さいました。ようやく完成し本番を迎え、苦労した分と協力して下さった方への感謝をこめて本当に楽しんで踊りました。元気の良い笑顔が評価されたらしく、文化祭は大成功、体育祭でも準優勝することができました。白百合祭は周りの人たちの暖かい優しさのおかげで成し遂げることができました。
部活動や白百合祭で学んだ多くのことを生かしながら、子ども達一人ひとりの個性と心の成長を大切にできるような保育士を目指し努力していきたいと思います。