題名 | 直したのでお手数で申し訳ありませんが再度添削お願いします |
名前 | よろしくお願いします |
時刻 | 2006-09-03 14:05:04 |
前回の指摘で文章を極力短くしてきました。
最後の文章のつなぎがぎこちないとおもうのでそこの指摘もおねがいします。 私は中学三年、高校一年の時にアメリカ合衆国シアトル州、オーストラリアのパースにそれぞれ短期ホームステイをした。異国の人達との刺激に溢れた文化交流を経験し、そこで付き添って下さったツアーコンダクターの方々の仕事に興味をもつようになった。そして観光産業に関することについてもっと知りたい、と思うようになった。私が貴学を志望した理由はツアーコンダクターになりたいからである。 観光産業が世界最大の産業のひとつになった今、ツアーコンダクターは社会においてどのような役割を果たしているのだろうか。 日本において、かつておこなわれていたリゾート法の理念は観光する側の「異郷において、よく知られているものを、ほんの少し、一時的な楽しみとして、売買すること」であった。しかし、これは農山漁村の主体性、独自の地域作りの方向性を認められないまま、リゾート地が開拓された。結果は大半の場所が環境破壊を残して失敗に終わった。 現在は、過去のこの観光開発の失敗を見つめ直し、以前より増して多角的な側面をもって、問題を抱えつつも環境保全を考慮していてマクロ的に順調だと思う。しかし、私は観光開発において現地に住む人達の目線であるミクロ的な視点が欠けている気がする。例えば、古川彰・松田素二編の「観光と環境の社会学」では、観光客がある山村の農家に一ヶ月滞在して、炭焼きや山菜収集で過ごしていた。そこで観光客がその農家の行なっている農薬についての危険性を語り手作りの大切さを強調したため、意見の食い違いが生まれてしまった、という話があった。これは観光客が、農家の人達全員は近代社会の掲げるエコライフ志向を考えている、という短絡的な考えから起こったのものだ、と述べられていた。これはマクロ的な視点である環境保護の促進というよりも、村を活性化させていきたい、あるいは現状をこれ以上の手を加える必要はない、といった現地の人たちによる主観的な考えであるといえるミクロ的な視点がその観光客に欠けていたから起こったものである。(必要ですか?)私自身、オーストラリアに滞在している時、日本人の友人と現地でできた友人同士とで話していた時に、日本人の友人が現地の友人に向かってWoman Killerと言った。日本人の友人は冗談で言ったつもりが相手は真剣にそのことを受け止めてしまい、その後とても気まずい関係になってしまった事がある。こういった事が旅行中で起こってしまっては旅行が台無しになってしまう。 従来のツアーコンダクターは観光客に旅行先の文化を知ってもらう事、楽しんでもらう事に、力をかけてきている。しかし、現地の人達との交流の場で、上記で述べたような意見の食い違いというものが起こる場合もある。この点でツアーコンダクターは地域生活の目線にたってグリーンツーリズムや観光現象を考えることができる。 そこで私がツアーコンダクターになったら観光スポットの事についての説明に限らず、その現地に住む人達がこの生活をするまでにいたった経緯、生活の基盤に基づいた背景をまず事前に知りたいと思う。そして観光客に現地の文化を通じ、現地の人達との密接な交流が経験をさせていき、観光客に新たな世界を紹介していく上で、原住地の抱えている事情を観光客との会話の中でなるべくさりげなくいれていき、その問題を未然に防ぐ努力をしていきたい。これこそがこの職業の観光がいまや世界最大の産業のひとつになった社会における最善の役割を果たしているのではないかと思う。 そこで私の目指すこの理想のツアーコンダクターになるにあたって貴学における多角的・総合的に広い視野で社会を見つめる力をつけていくという、リベラルアーツの学習理念に惹かれた。授業においては業界の大手企業の経営トップを特任教授としての講義・ゼミや、観光の定義・意義から学習する観光概論など、これから学んでいくにあたりこれほど恵まれている学習環境は他の大学にはない。 私自身、中学の文化祭では、毎年英語のスピーチコンテストに出場し、高校三年生のときにスピーチコンテストの司会者としても出場もし、ESS部では異国の人との交流をはかってきた。高校生の受験英語とはまた異なる会話の英語の方にも力をいれてきた。また中高ともに続けてきた陸上部では後輩の指導、友達や先輩達の幅広い交流を通して社交性を深めてきた。 以上のような理由から貴学の観光学部観光学科を志望する。 |