題名 | 言語技術教育について 96 |
名前 | 森川林 |
時刻 | 2005-12-02 16:27:07 |
ある中学の言語技術教育の1年生の作品集を見る機会がありました。
狙いは、何しろいろいろな書きやすいきっかけを作って、記述力をつける練習をするということのようでした。漠然と書かせるのではなく、共通の対象をもとに書かせるので、生徒どうしの比較などが可能で、焦点の絞られた指導になるという印象でした。 内容は、一度聞いたものを書き直す再話、その再話の要約、視点を変えた物語の書き直し、絵の分析(説明)、テクストの分析(あらすじや説明)、描写や説明の短文、論証(意見と理由)の短文、など、いろいろなきっかけを工夫していることがよくわかりました。 週1回、全校を上げてこのような指導をすれば、生徒は書くことにかなり慣れると思いました。しかし、その書き慣れのプラスを生み出すために、次のようなマイナスもあるのではないかと思いました。 一つは、先生の添削の負担が大きすぎるということです。 もう一つは、生徒が意欲や関心を持ち続けられるかということです。たぶん最初は、生徒も面白がってこれらの教材に取り組むと思います。しかし、書いたあとに明確な評価のフィードバックをしにくいこのような性格の授業に長期間意欲を持ち続けることは難しいのではないかと思いました。 また、もっと根本的なことは、読む力の育成を伴わないと、書く力の練習だけでは限界があるだろうということです。 作文教育というと、すぐに書かせることを連想しがちですが、人間は読む力の範囲までしか書くことができません。読む力が書く力を押し上げるのであって、書く力が読む力を引き上げるのではありません。 例えば仮に、毎日1時間自分の好きなことを喋る子と、毎日1時間他人の話を聞く子がいた場合、1年後にはどちらの子の方が言語の実力がついているでしょうか。同様に仮に、毎日1時間作文を書く子と、毎日1時間読書をする子がいた場合、1年後にはどちらの子の方が言語の実力がついているでしょうか。 作文は、読む力を定着させ、考える力を確立するための勉強です。ですから、読む力、考える力が十分に育っている子は、文章を書くことによって実力が向上します。しかし、読む力、考える力がまだ十分でない子は、いくら作文を書いても、その読む力、書く力のところまでしか実力が向上しないのです。 逆に言えば、これからの作文教育に求められるものは、(1)先生の負担が大きくないこと、(2)明確なフィードバックがあり生徒が意欲を持ち続けられること、(3)読む力の育成を伴った作文、ということになると思いました。 |