題名 | ネット作文コンクール決定 69 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
名前 | 森川林 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時刻 | 2005-06-16 09:16:10 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本語作文小論文検定協会主催の第1回ネット作文コンクールの結果が6月10日(金)に発表されました。
投稿した作品の点数が即座に森リンで表示されるという仕組みだったため、応募者が高得点の人に限られる面がありました。そのかわり、応募作品の質は高く、どれも読み応えのある力作でした。 森リン大賞(賞状と5000円の図書カード)は、次の12名の方に送られました。おめでとうございます。 作品は、日作のホームページでごらんになれます。 http://www.mori7.info/conc/conc_best.php
森リン大賞最高得点の作品 父と私 味噌煮込みうどん 恐れていた電話の呼び出し音が鳴る。思った通り姉からだった。父の臨終の報せに、咄嗟に心に浮かんだのは「参ったな。学校と職場にすぐ連絡しないと……。」だった。 最後に話した時、父は人相が変わるほどやつれていた。枕元を離れがたく、呂律の回らない父と少しでも話をしようと懸命だった。だがそれは「私は冷たい娘ではない。」と自分を偽るための空しい努力だったかもしれない。家族にとって、父は長年『困った人』だったのである。 幼い頃理由も分からず叱られた記憶。例えば百貨店で商品に触れれば、頭ごなしに怒鳴る。腹痛で泣けば、母親が戻るまで騒ぐなと怒られ、小旅行を計画すれば、大抵父の勝手で落胆する結果となったものである。確かに大人になった私は、父を喜ばすような読書や趣味の話相手になれる程度に小賢しく成長はしたが、それも年数回。毎日生活を共にする母の苦労はもちろん並大抵ではなかったはずだ。帰省の都度、父の晩酌と話相手を務める一方、母の長々した愚痴の聞き役に回り、疲れ果てるのが常である。 葬儀出席のため、仕事や子供の学校の雑事に対し、身辺整理を妙に手際よくこなし、帰省した。だが訃報を聞いた方々の早速のお悔やみの言葉に恐縮するほど、気持ちは冷静だった。 儀式は至極平凡であり、祭壇に飾られた写真は、花に囲まれ堂々と貫禄があった。私は『立派』な父の遺影に満足し、弔いが終わればもう母は楽になれると思い、密かに安堵した。出棺の時、初めて少しだけ涙がこぼれた。だがまだその涙の意味を深く考えずにいたのである。 早く仕事に戻らなければと、余裕のある夫や娘より一足早く新幹線に飛び乗り、夜の車内販売で父の好んだ駅弁と酒を買い一息つく。だが、とたんに我ながら驚くほど急に涙が溢れ出したのである。突然、あれ程嫌だった父の、照れ臭そうな笑顔が何故か脳裏に浮かび困惑した。贅沢を嫌う母に代わり、内緒で年頃の私に洋服や装飾品を買ってくれたのは父である。上京する私に、俺を真似て酒で失敗するなと笑った顔。身を切るような後悔だった。 姉妹のうち父似だったのは紛れもなく私である。母も姉も、父の心の奥底にはもちろん思い至らなかっただろう。だが、父譲りの性格の私だけに通じる闇の部分が、否応なくあった。理解を得られぬ苛立ち、葛藤、旅立つ恐怖と不安。だが私は、それらを頭から振り払うように日常の多忙さに追われ、確かに遠方に離れているのを言い訳に逃避した。私ならもっと父の役に立てたはず、いや、私にしか演じられぬ役割があったはずである。 さらに切ないのは、何故かあれほど疎んだ性質が、実にそっくり自分に受け継がれている現実である。他人に対して異様に気を遣う一方、家族には甘えて言いたい放題の小心さ。だが気付けば私も、同様の生き方をしているではないか。弁当を前に身震いした。悔恨の苦い涙が溢れた。 娘は奇しくも父と同じ誕生日である。報告した夜、孫が自分に似なければ良いと心配しつつ、しかし電話の声は弾んでいた。 父は確かに身近な者から見れば困った存在だっただろう。生前の素行は他人に言えぬ恥も多数。だがそれ以上に、失った父親から教わった事柄の何と深いことだろうか。 「お爺ちゃんの書道の腕前は日本一だね。」 娘が言う。何故そんなことすら思うことなく、私は生きてきたのだろう。 あまりに遅すぎた。だが今、せめて我が家の特等席に、父の掛軸は燦然と輝いている。 |