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言葉の森の「オンライン少人数クラス」とベネッセの「オンラインならいごと」 as/4645.html
森川林 2023/02/12 07:48 


●動画:https://youtu.be/qUKtw418Y7U

 言葉の森が、コロナ禍の2020年にオンラインクラスを多様に開講したとき、私(森川林)はすぐに、同じようなことをするところが出てくるだろうと思いました。
 言葉の森でのオンラインクラスという仕組みそのものは、2013年から作っていましたが、それが広がったのは、ちょうど2020年からでした。

 当時の世の中のオンライン教育のほとんどは、授業の動画をただ流すだけのものでした。
 高学年の真面目に勉強する子にとっては、かいつまんで見ることができない動画の授業は、無駄な時間が多すぎました。
 一方、低学年や勉強の自覚のない子にとっては、動画の授業はすぐに飽きてしまうものでした。

 IT先進国のように言われていたアメリカでさえ、オンライン教育は、低学年の子供が飽きるということに対応できていませんでしたから、日本のオンライン教育は、もちろんそれ以下でした。

 しかし、当時の言葉の森のオンライン教育が、小学校低学年の生徒も、高学年や中高生の生徒も飽きさせなかったのは、4~5人という少人数のクラスで、生徒自身が発表する時間を確保していたからです。

 現在、言葉の森の幼長や小1の生徒がいるオンラインクラスでも、オンライン学習が楽しく続いています。
 また、中学生や高校生の生徒も、オンラインクラスで勉強をしています。
 それは、勉強の時間以外に、読書紹介や作文発表や一人一言の時間や2人1組の勉強などで、子供たちの発表と交流の時間をできるだけ確保しているからです。
 この発表と交流が、学習の意欲につながります。

 子供でも、大人でも、先生の話をそれがどんなに面白い話であっても、ただ聞くだけよりも、自分の力で何かをしたいものです。

 私自身が、小学生のときにそうでした。
 授業中は、いつも退屈だったので、教科書のほとんどすべてのページに落書きを書いていました。
 落書きを書かないときは、窓の外を見ては、「スズメは自由でいいなあ」と思っていました。

 唯一ほっとするのは、テストの時間でした。それは、自分が何かをすることができる時間だったからです。
 多くの子供たちは、今も同じような感覚で学校の授業に参加していると思います。

 勉強は、教科書や参考書や問題集をもとに、自分ですればいいものです。
 どうしてもわからないときだけ教えてくれる人がいればいいのですが、そういうことは滅多にありません。

 教科書は、学校で先生が教えることを前提に作られているので不親切ですが、市販の参考書や問題集は、解説や解法が詳しく書かれているので、子供が独力で勉強できます。
 だから、勉強は家庭で自分ですればいいのです。
 というよりも、家庭での自学自習が勉強の基本で、授業に参加するのは友達と交流したり先生に質問したりするためです。
 これを反転学習と呼ぶ人もいますが、もともとの勉強は自学自習が基本なのです。

 だから、私は、ベネッセの「オンラインならいごと」という企画を見たとき、次のようなことを聞きたいと思いました。
 ところで、この記事は、ベネッセの企画に対する批判ではなく、オンライン教育のあり方についての記事です。

 質問したいことの第一は、そのオンライン学習が何人のクラスで行われているかということです。
 言葉の森のオンラインクラスは、5人以内の人数で行われています。
 それは、全員の読書紹介と交流と個別指導を、45分から60分の時間内に両立させるためには、5人という人数が限界だからです。

 双方向をうたっているオンライン教育であっても、10人以上のオンラインクラスでは全員の参加はできません。
 数人が双方向で、他の子供は聞いているだけというのでは、聞いている子供はいつも聞いているだけです。
 双方向というためには、全員の参加が必要なのです。

 第二は、そのオンライン学習が固定したメンバーで行われているかということです。
 人間の交流は、ただ一緒にいればいいというのではなく、親しい子と一緒にいるということが大事です。
 人間が、どこで他の人と親しくなるかというと、それはかけた時間によってです。

 同窓会というものが成立するのは、一緒に過ごした時間が長かったからです。
 もともと仲のいい子が集まったのではなく、集まったあとに、一緒に過ごす時間があったから、親しくなったのです。

 だから、言葉の森のオンラインクラスは、不特定多数の生徒が、不特定多数の先生に教えてもらう形ではなく、固定した生徒のグループが、固定した先生と一緒に勉強する形にしています。
 そのために、それぞれのクラスの曜日や時間が固定しています。
 ただし、欠席した分は、他のクラスに振替で参加することができます。
 また、先生が急な用事で休講した場合は、他の先生が代講で授業を担当します。

 オンライン教育というと、グローバルな教育と考えられがちですが、言葉の森のオンライン教育は、ローカルなオンライン教育です。
 ローカルだから、サマーキャンプや遠足なども行います。(2020年からはコロナ禍で、ほとんどできませんでしたが。)
 サマーキャンプに参加する子の多くが、オンラインクラスに参加していた子です。
「あの子が行くから、ぼくも行く」、「先生が行くなら、私も行く」という感じで参加しているのです。

 教育の中で何が残るかというと、勉強の中身よりも、人間のつながりです。
 私は、オンラインクラスに参加している子供たちの間で、やがて生涯の友達になったり、結婚したり(笑)する子が出てくると思います。

 言葉の森には、幼長から社会人の生徒までが参加しています。
 中学生や高校生の中には、小学校低学年から勉強を続けている子がいます。
 私のうちの子2人も、小1から高3まで言葉の森の作文を続けました。

 昔の電話個別指導の時代には、生徒の人間的なつながりは、教えてくれる先生だけでした。
 しかし、オンライン少人数クラスでは、生徒の人間的なつながりは、先生とともに、同じクラスの生徒どうしになります。

 小1のころ無邪気に、「私の読んでいる本は『ぐりとぐら』です」などと言っていた子が、高学年になると、「今、読んでいるのは『はてしない物語』です」などとなり、高校生になると、「最近読んでいるのは、デカルトの『方法序説』です」などとなります。
 そういう成長のあとを、みんなで共有できるのです。

 話は変わりますが、昔、教室の高校生数人に、「方法序説」が簡単だと思い、感想文を書くために読ませていたら、みんな寝てしまったことがありました(笑)。

 私は、オンライン教育がこれから広がるのは、大歓迎です。
 だから、いろいろな教育機関が、こういうオンライン教育を企画してほしいと思っています。
 なぜなら、今の学校や塾の通学式の集団一斉指導は、限界に来ているからです。
 また、不特定多数の通信教育や、マンツーマンの通信教育にも、限界があります。
 従来の教育の枠を超えた新しいオンライン教育が、今必要とされているからです。

 新しいオンライン教育は、江戸時代の寺子屋教育を、デジタル技術とネットワーク技術で、現代に復活するものになるはずです。
 更に言うと、自動翻訳技術で、その現代寺子屋教育が、世界に広がるものになるはずだと思っています。


●動画:https://youtu.be/qUKtw418Y7U

 言葉の森が、コロナ禍の2020年にオンラインクラスを多様に開講したとき、私(森川林)はすぐに、同じようなことをするところが出てくるだろうと思いました。
 言葉の森でのオンラインクラスという仕組みそのものは、2013年から作っていましたが、それが広がったのは、ちょうど2020年からでした。

 当時の世の中のオンライン教育のほとんどは、授業の動画をただ流すだけのものでした。
 高学年の真面目に勉強する子にとっては、かいつまんで見ることができない動画の授業は、無駄な時間が多すぎました。
 一方、低学年や勉強の自覚のない子にとっては、動画の授業はすぐに飽きてしまうものでした。

 IT先進国のように言われていたアメリカでさえ、オンライン教育は、低学年の子供が飽きるということに対応できていませんでしたから、日本のオンライン教育は、もちろんそれ以下でした。

 しかし、当時の言葉の森のオンライン教育が、小学校低学年の生徒も、高学年や中高生の生徒も飽きさせなかったのは、4~5人という少人数のクラスで、生徒自身が発表する時間を確保していたからです。

 現在、言葉の森の幼長や小1の生徒がいるオンラインクラスでも、オンライン学習が楽しく続いています。
 また、中学生や高校生の生徒も、オンラインクラスで勉強をしています。
 それは、勉強の時間以外に、読書紹介や作文発表や一人一言の時間や2人1組の勉強などで、子供たちの発表と交流の時間をできるだけ確保しているからです。
 この発表と交流が、学習の意欲につながります。

 子供でも、大人でも、先生の話をそれがどんなに面白い話であっても、ただ聞くだけよりも、自分の力で何かをしたいものです。

 私自身が、小学生のときにそうでした。
 授業中は、いつも退屈だったので、教科書のほとんどすべてのページに落書きを書いていました。
 落書きを書かないときは、窓の外を見ては、「スズメは自由でいいなあ」と思っていました。

 唯一ほっとするのは、テストの時間でした。それは、自分が何かをすることができる時間だったからです。
 多くの子供たちは、今も同じような感覚で学校の授業に参加していると思います。

 勉強は、教科書や参考書や問題集をもとに、自分ですればいいものです。
 どうしてもわからないときだけ教えてくれる人がいればいいのですが、そういうことは滅多にありません。

 教科書は、学校で先生が教えることを前提に作られているので不親切ですが、市販の参考書や問題集は、解説や解法が詳しく書かれているので、子供が独力で勉強できます。
 だから、勉強は家庭で自分ですればいいのです。
 というよりも、家庭での自学自習が勉強の基本で、授業に参加するのは友達と交流したり先生に質問したりするためです。
 これを反転学習と呼ぶ人もいますが、もともとの勉強は自学自習が基本なのです。

 だから、私は、ベネッセの「オンラインならいごと」という企画を見たとき、次のようなことを聞きたいと思いました。
 ところで、この記事は、ベネッセの企画に対する批判ではなく、オンライン教育のあり方についての記事です。

 質問したいことの第一は、そのオンライン学習が何人のクラスで行われているかということです。
 言葉の森のオンラインクラスは、5人以内の人数で行われています。
 それは、全員の読書紹介と交流と個別指導を、45分から60分の時間内に両立させるためには、5人という人数が限界だからです。

 双方向をうたっているオンライン教育であっても、10人以上のオンラインクラスでは全員の参加はできません。
 数人が双方向で、他の子供は聞いているだけというのでは、聞いている子供はいつも聞いているだけです。
 双方向というためには、全員の参加が必要なのです。

 第二は、そのオンライン学習が固定したメンバーで行われているかということです。
 人間の交流は、ただ一緒にいればいいというのではなく、親しい子と一緒にいるということが大事です。
 人間が、どこで他の人と親しくなるかというと、それはかけた時間によってです。

 同窓会というものが成立するのは、一緒に過ごした時間が長かったからです。
 もともと仲のいい子が集まったのではなく、集まったあとに、一緒に過ごす時間があったから、親しくなったのです。

 だから、言葉の森のオンラインクラスは、不特定多数の生徒が、不特定多数の先生に教えてもらう形ではなく、固定した生徒のグループが、固定した先生と一緒に勉強する形にしています。
 そのために、それぞれのクラスの曜日や時間が固定しています。
 ただし、欠席した分は、他のクラスに振替で参加することができます。
 また、先生が急な用事で休講した場合は、他の先生が代講で授業を担当します。

 オンライン教育というと、グローバルな教育と考えられがちですが、言葉の森のオンライン教育は、ローカルなオンライン教育です。
 ローカルだから、サマーキャンプや遠足なども行います。(2020年からはコロナ禍で、ほとんどできませんでしたが。)
 サマーキャンプに参加する子の多くが、オンラインクラスに参加していた子です。
「あの子が行くから、ぼくも行く」、「先生が行くなら、私も行く」という感じで参加しているのです。

 教育の中で何が残るかというと、勉強の中身よりも、人間のつながりです。
 私は、オンラインクラスに参加している子供たちの間で、やがて生涯の友達になったり、結婚したり(笑)する子が出てくると思います。

 言葉の森には、幼長から社会人の生徒までが参加しています。
 中学生や高校生の中には、小学校低学年から勉強を続けている子がいます。
 私のうちの子2人も、小1から高3まで言葉の森の作文を続けました。

 昔の電話個別指導の時代には、生徒の人間的なつながりは、教えてくれる先生だけでした。
 しかし、オンライン少人数クラスでは、生徒の人間的なつながりは、先生とともに、同じクラスの生徒どうしになります。

 小1のころ無邪気に、「私の読んでいる本は『ぐりとぐら』です」などと言っていた子が、高学年になると、「今、読んでいるのは『はてしない物語』です」などとなり、高校生になると、「最近読んでいるのは、デカルトの『方法序説』です」などとなります。
 そういう成長のあとを、みんなで共有できるのです。

 話は変わりますが、昔、教室の高校生数人に、「方法序説」が簡単だと思い、感想文を書くために読ませていたら、みんな寝てしまったことがありました(笑)。

 私は、オンライン教育がこれから広がるのは、大歓迎です。
 だから、いろいろな教育機関が、こういうオンライン教育を企画してほしいと思っています。
 なぜなら、今の学校や塾の通学式の集団一斉指導は、限界に来ているからです。
 また、不特定多数の通信教育や、マンツーマンの通信教育にも、限界があります。
 従来の教育の枠を超えた新しいオンライン教育が、今必要とされているからです。

 新しいオンライン教育は、江戸時代の寺子屋教育を、デジタル技術とネットワーク技術で、現代に復活するものになるはずです。
 更に言うと、自動翻訳技術で、その現代寺子屋教育が、世界に広がるものになるはずだと思っています。


 低学年から学力の基礎を作る
幼長、小1、小2、小3の基礎学力をひとつの講座で学ぶ。
読書の習慣、国語算数の勉強、暗唱の学習、創造発表の練習をオンラインで。


コメント欄

森川林 2023年2月12日 10時32分  
 オンライン教育で大事なことは、全員が発言できる人数であること、メンバーが固定していることです。
 こういうオンラインであれば、リアルを超えた長所があります。
 逆に、授業の動画をただ流すだけのオンライン教育は、できる子にとっては無駄が多く、できない子にとっては退屈なものになります。


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●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

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●中学受験国語対策
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